鷹島の碇石

長崎県鷹島海底遺跡で見つかった元寇船の碇石の産地

本研究に用いた試料は,長崎県北松郡高島町教育委員会から提供して頂きました.

鷹島は,弘安の役(1281年)で,東路軍と江南軍が集結して,上陸の機会をうかがっていたときに暴風雨にあった場所です.港改修に伴う海底遺跡の発掘調査で,元寇船の碇が投錨した状態で発見され,「木石碇」の形態がはじめて明らかになりました.「木石碇」は,現在の錨と原理的に変わりありません.従来,完成度の低い石碇と考えられていた500kgを越す長柱状の岩石は,40m級の長大型船を繋ぎ止める当時のハイテク製品の部品だったわけです.

大部分の碇石は花崗岩でできています.この花崗岩の産地がコリア半島なら東路軍,すなわち,高麗船のものになります.また,中国大陸南東部が産地なら,江南軍の船の碇と考えることができます.碇石の花崗岩にはパーサイト組織の発達したカリ長石が多く含まれ,化学組成ではRb/Sr比が高いという特徴をもっています.しかし,このような花崗岩はコリア半島にも中国大陸南東部にも産出しますので,決め手にはなりません.

コリア半島と中国大陸南東部の花崗岩は,年代が違いますが,多量の試料を必要とする従来の地質年代測定法では貴重な碇石の年代測定ができませんでした.偏光顕微鏡観察に使った薄片でCHIME年代を測定したところ,碇石の花崗岩は108±3Ma (Ma:百万年前)であることがわかりました.コリア半島南部の花崗岩は180Ma前後か95Maより若いので,碇石の産地は中国南東部,つまり,江南軍の船のものと言えます.

碇石の花崗岩の年代は,中国大陸南東部でも特に福建省石獅から泉州付近の花崗岩の年代に一致します.泉州は浦寿康とその命令・管轄下にあった貿易商人が根拠地にしていた都市で,商業だけでなく,航洋船の造船も盛んでした.碇石の年代測定から,江南軍の40m級の超大型船は貿易商人が提供したものであることが確実になりました.

ページトップへ▲